その人は。その日空が白むまで。ずっと歌を歌ってくれた。

俺をその細い腕に抱きながら。俺が強請ればその通りに。

優しいやさしい、歌を。俺だけの為に、歌ってくれた。





――――――そんな人、今まで一人もいなかった。





俺は生まれてきてはいけなかった子で。

生まれてくるのを、望まれなかった子で。





俺の本当の母親は、一族の掟を破った。

他と交わってはならない。一族の血を、薄め穢してはならないという掟を。

だから今の『母親』は、汚らわしい、と必要最低限しか俺に触らない。





俺の本当の父親は、己の生まれた里を裏切った。

捕虜として捕まった女に心を奪われ。その女と共に、全てを捨てて逃げた裏切り者だった。

だから今の『父親』は、何処の馬の骨とも知れぬ、と俺を蔑む。





だったら俺なんて殺してしまえば良いのに。そう思ったが、そうは出来ない理由があった。

・・・・・・いや、一度は、試した。彼等は以前、本当に俺を殺そうとした。

けれど俺はその時命の危機に。血を、目覚めさせたのだ。

紅い紅い万華鏡の様な双眸と――――――刃も通さぬ、硬質化した身体を。





『父』が馬の骨、と見下す俺の本当の父親は。他の里の特殊な血を引いていた。

鋼の様に鉄の様に。皮膚を硬くする『鑛鬼』の血継限界の、一族の血を引いていた。

加えて俺は。滅多に無い、万華鏡までもを開眼させた。

だから。殺そうと思えど、殺せなかった。





そんな俺には、『兄』がいて。





『兄』は自分の一族を嫌っていた。己の中に流れる血を厭うていた。

純粋なる血筋、のみに重きを置き。倦み腐れてしまったと。人の想いを尊厳を、踏み躙る心無い輩に成り下がってしまった、と。

その『兄』だけが。俺をちゃんと見てくれた。

子供は何も悪くないのに、と。子供は親を選べないのに、と。俺を抱き締め、俺の為に泣いてくれた。

けれどその『兄』ですら。俺に歌を歌ってくれた事は、無かった。





『兄』は口数が少なくて、感情の起伏も薄い。

幼い子供に絵本を読み聞かせたり、子守唄を歌ってやる様な性格でも無い。

性格以前に、『兄』自身。そんな幼子への接し方を、知らない。

当たり前だ。あの『父』と『母』に、甘えも逃げも許されず。忍として育てられたのだから。





だけどその人は歌ってくれた。





『母』の様に、汚らわしいもの、として扱うでなく。

『父』の様に、卑しいもの、として扱うでもなく。

『兄』の様に、幼子を知らぬ故に不器用に俺に触れる訳でも、ない。

その人は。只々俺を普通の子供として扱ってくれた。





出会ったのは、森の中だった。

星の無い夜だった。月だけが、異様に明るい夜だった。





その日。『兄』は仕事で。『父』は集会で。家に、沢山の一族の人間が集まっていた。

皆が俺を冷たく睥睨した。口汚い誹りを受けた。

だから森の中に逃げた。





夜の森に入る危険性を、俺は『兄』から、聞いていた。

けれど俺は、怖いなどと思わなかった。

獰猛な獣の潜む森よりも。あの家に集う人間の方が怖かったから。





誰も、俺が森に入っていくのを止めなかった。

俺はこんな子供で。子供が夜の森に独りきりで入っていくのは危険過ぎると解っていて。

下手を打てば、死にさえすると。知っていて、誰も止めなかった。

寧ろ、死んでくれた方が清々する、と。俺を見下す大人達の目は物語っていた。





暗い獣道を走って走って。木の根に蹴躓いて転んで。

俺はそのまま、その場に蹲った――――――その、時だった。





「――――――どうしたの、坊や。こんな時間にこんなトコロで」





驚いた。

耳を疑った。





だけど、恐る恐る顔を上げてみれば。ソコには確かに、人がいて。

『兄』が夜。仕事に出る時の出で立ちと。全く同じ格好の、けれど仮面を取った。

ぼんやりと、月の光を集めるぎんいろの。綺麗な髪をした覆面の人が、其処にいて。





その人は。驚き過ぎて動く事も忘れてしまった。俺を優しくやさしく抱き上げて。

おうちまで送っていったげる、と優しく言ってくれた。

だけど帰りたくない、と返した俺に。困った様に青い目を細めて。





「じゃあ今日は、おにーちゃんと一緒にいよっか」





俺も、今日は帰りたくないんだよね、と。だから今晩はずっと傍にいてよ、と。

俺が気にしなくても良い様に。俺が、独りにならない様に。

朝が来るまでずっとずっと。俺をずっと抱き締めて。





やさしい歌を。一晩中。歌って、くれた。










 





 













某おにーさんは子守り向けじゃないと思う。うん。
 





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