熱、が。 どくどく。ぐるぐる。ごうごう、と。 身体の裡を、駆け巡る。 |
軍医、過去を思い出す、の巻。 〜思い、出してしまった。〜 |
ぱたり。 白い布団の上に、血が落ちる。 ぱた、り。ぱた、ぱた。 落ちて、染込んで、広がって。 まるで雪の上に落ちた、紅い寒椿みたいに。 「ちょ、先生!!血!!血が!!」 あたしの行動に驚くオカンを押し退けて、風来坊が慌てて手を出してくる。 あたしはソレを、苦無を握ったままパン、とはたき落として。 ぐつぐつ。どろどろ。 胃の腑の辺りからムカムカと、気持ち悪いモノが込み上げてくる。 ――――――『思い出』 したくもない 『昔』 の 『記憶』 が、堰を切って溢れそうになる。 「・・・・・・下がれ、佐助」 「っ、けど大将・・・・・・!」 「下がれ、と言っておるのだ」 切れた口の端を拳で拭って、お館様が静かに言った。 渋々と、佐助があたしから離れる。だけどその目は、あたしへの敵意を未だに浮かべたまま。 対するお館様の、あたしを見詰める目は、まるで凪いだ海だ。 殴られた事に憤るでもなく、むしろ殴られる事を予想していたみたいに、ソレが当然だと言う様にただただ静かに。 あたしはぎう、と苦無を掴む手に力を入れた。 肉に食い込む刃を伝って、ぱたぱたと血が落ちる。 ぐるぐる。ごうごう。 ねえ、虎神を祟神にまで堕とした甲斐の将。 あんたが甲斐で布く治世はソコに住む人達の事を考えた良いものなんでしょ。 だったら森は?獣は?鳥は? 人間でなければその恩恵にはあやかれないの? どくどく。むかむか。 どうして殺したの。どうして閉じ込めたの。あたし、何かした?してないよね? ただ、憧れただけ。感じてみたかっただけ。なのになんで。 人間じゃないから?人間じゃなきゃダメなの? そんなに力が欲しいの。そんなに、権力が好きなの。 信じてた。信じてた、の に 。 何で。なんで。ナンデ―――――― 『堕ちてはならぬ、御子!!』 ぱちん、と目の前で何かが弾けた、気がした。 そろそろと振り向けば、あたしを見据える立ち上がった虎神の金色の目。 『怒りに我を忘れるな。憎しみに囚われるな。狂気に引き摺られるな』 諭す様なその声に、あたしはぺたりと、全身から力が抜けたみたいに座り込む。 その拍子に、握ってた苦無がほろりと落ちて。 「――――――Hey、手ぇ見せろ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無理だ。 「誰か、誰か医師を呼んでまいれ!」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無理だ。 「おい、大丈夫か。にしても、無茶しやがる・・・・・・」 ・・・・・・・・・・・・無理だ。 「先生、聞こえてる?先生?」 無理だ。 「すぐ、てあて、するから。せんせい、もうすこし、がまん。」 「無理だ、虎神」 ぽつり、と零した声は、イヤに良く響いた。 あたしの周りの喧騒が、示し合わせたかの様にぴたりと止む。 「思い出は褪せる、憎しみは風化する――――――あの時、 『俺』 は確かにそう言った――――――でも、無理だ。無理だった」 だってあの時。『俺』には感情なんてなかったから。 理解したつもりでいて、だけどホントは全然解ってなかったから。 「怒りも憎しみも狂気すら。今尚鮮やかに残っている――――――残って、いるんだ。過ぎる時が傷を癒すなど、そんなのは嘘だ」 あの時。確かに 『私』 が一度は抱いたその感情。 ソレが、今も・・・・・・未だに。この胸の裡に、ある。 「忘れたかった、忘れ続けていたかった・・・・・・・・・・・・『私』 を裏切ったあの男の事など。思い出したくも、なかったのに」 憶えてる・・・・・・いや、憶えて、いたんだ。あたしは。 愛していた、信じていた。なのに権力欲しさに 『私』 を犯し殺したあの男の顔。 自分が人間じゃない事に、何よりも絶望したあの日の事を。 あたしは今でもはっきりと。 「どうして今まで忘れ得ていたんだろう。どうして、今まで堕ちなかったんだろう。だって俺はこんなにも」 今更ながら、不思議に思う。 だって 『あたし』 は。 『あたし』 の胸の奥で渦巻くこの感情は。 『思い出し』 てしまえば、こんなにも。 「こんなにも、人間が憎くて憎くて堪らない」 ほろり、と静かに零れた声は。 熱も無く色も無く、だけど確かに自分の本心だった。 |
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