何 処 ま で も 哀 し く 優 し く 此 の 命 を 生 に 縛 り 付 け
飛ぶ鳥が、視界を横切る。
ぼんやりと其れを眺めて、銀糸の上忍はふ、と己の上に出来た影に、顔を上げた。
其処には、きつい赤眼の美女と、大柄な髭面の男。
「何シケた面してやがる。鬱陶しいな」
「最近、ずっとそんな感じよね。一体如何したの?」
訊ねてくる声の中に僅かに篭る心配。其れを感じ、銀糸は別に大した事じゃない、と小さく笑い立ち上がる。
ふ、と。遠くへ思考を飛ばす様に視線を動かせば。他の下忍と言い合いをしながら手を動かす金糸と、黙々と作業を進める黒髪。
他愛の無い、穏やかな風景だ。常日頃と変わらず。まるで、何も知らなかった時の様な。
知らず、漏れる溜息。其れに同僚二人は揃って顔を見合わせる。
「ちょっと、本当にどうしちゃったのよカカシ」
「さては、愛しの先生と何かあったのか?」
「だーから、本当に大した事じゃナイって」
検討違いの疑問を持ち出してくる彼等に、呆れた様な科白を苦笑に混ぜて。
そうだ、大した事じゃない。自分が何も知らされていなかった事など。其の時、自分が感じた疎外感など。
大切なのは、大事なのは、此れから。此れから先どう動くかだ。
再び、頭上に横たわる蒼天を見上げ。銀糸は己に言い聞かせた。
吐息めいた溜息を吐き、閉ざされていた扉を、開ける。
灯りも点けられておらぬ室内。窓から差し込む月明かりに、煌くのは青みを帯びた金と黒。
「・・・・・・・・・・・・カカシせんせー」
のたり、と顔を上げ此方を見た金の子に、苦笑めいた笑みを小さく漏らす。
「皆帰っちゃったけど。お前達はまだ帰んないの?」
そう。既に刻は夜半過ぎ。
今日はもう遅い、と渋る子供達を諭し。傷の忍は彼等を無理矢理に各自の家へと送って行った。
しかし、帰りを待つ人を持たぬ金糸と末裔だけは、其のままで。
「今日は泊まりだ」
「こんなにーちゃん、ほっとけないってばよ」
音を失くしたかの様な空間に。綺麗な綺麗な、作り物めいた青年が居る部屋に。
疲れた様な顔で。其れでも彼の手を握って、離さないで。そっと、寄り添って。
まるで此の世の全てが敵で、自分達以外の全てが敵で。
だから必死に互いで互いを守ろうと身を寄せ合い、闇の中で小さく縮こまって息を潜める野生の獣の仔の様だ。
ふとそう思って、ゆるり、と微かに眼を伏せる。
実際今までそうだったのだろう、彼等は己の事を誰に吹聴するでも無く、彼等だけで、今まで支え合って来たのだろう、と。
片や憎悪を向けられる、周囲の都合で獣を押し付けられた子供。
片や憐みを向けられる、実の兄に一族を滅ぼされた子供。
故に周囲から疎遠され、阻害されてきた。孤独と云うものの何たるかを知る、未だ年端もいかぬ子供達。
「そーゆーカカシせんせーは、どーしてまだ残ってるんだってばよ?」
「明日も朝から任務だろ。早く帰って寝ないとまた遅刻するハメになるぞ」
首を傾げて此方を見上げる金の子に、刺々しい末裔の言。
銀糸は指で頬を掻きながら軽く笑い。
「まぁまだ聞きたい事全然聞けてないしね〜。あ、それからナルト。今更取り繕わなくたっていーよ、俺にはもー意味無いし」
言われた金の子は口を噤み、代わりに傍らの、末裔がすぅ、と眼を細めた。
「何を、取り繕わなくて良いと」
「だーから。俺の前で演技する必要は無いってコト。さっきの火影様との遣り取りで、お前達の素が大体判ったから」
今の今まで気付かなかった俺も大概平和ボケしちゃったな、って感じだけど、と。
軽く、何処までも軽く。緩い口調に、場の気配の硬質感が増す。
横たわる沈黙。ふ、と。真っ先に息を吐いたのは金の子だった。
「――――――其れで?」
凛、と張った声音。幼いのに何処か深い。虚勢も甘さも騒がしさすら、払拭させた其れこそ本来の此の子供の、声。
其れが如何した、とも。何が言いたい、とも。そして何を聞きたいのだとも。様々な問い掛けを混ぜ合わせたかの様な。
其れに銀糸は満足気に一つ頷き。
「うん。俺ねぇ、ココ最近裏で何回か一緒に仕事した事あるのよ、『月』と」
出した名前に、子供達の反応は、無く。只、二対の視線に、強さが増す。
其れを、真正面から受け止めながら。
「その時に思ったよ・・・・・・・・・・・・ああ、この子はヤバイって」
溜息と共に吐き出された言葉。
何が、どう、と。詳細に明確にしない分、其れは子供達の胸に深く突き刺さった。
無意識に、険しくなる表情。其れを認めて、銀糸は小さく苦笑を漏らし。
「俺も物心付いた頃には戦場で生きてたからね。人の道に外れる事は大概やった」
とつとつ、と銀糸が語るは、己の過去。
命を物の様に扱った。他者のものも、己のものも。
深手を負い、動けなくなった部下を切り捨てた事もあった。
手錬た忍から無抵抗な女子供まで、其れこそ無差別に手を掛けた事も在る。
「躊躇いも無かったし、罪悪感なんてのも感じなかった。けどそんな、何も感じない自分を憐れに思ったのも、また事実でさ」
己には感情と云うものが在った。
戦場などとは程遠い、生温い世界に夢を見た。
忍と云う名の道具で在る前に、人で在った。
だからこそ暗部を抜けたのだけれど。
「だけど『月』は――――――くんは、違うね」
銀糸の脳裏に思い出されるのは、彼の時の、青年。
壮絶な殺し方を、まるで其れが義務だと云わんばかりに、目の前で披露して見せた。
泣きそうな顔で、泣いているとしか見えない様な顔で、其れでも哂っていた。
哂って、『愉しい』と。そんな事、一片たりとも思っていないのに。
けれど『辛い』とも『苦しい』とも思わず。
何も映さない虚ろな目で。――――――何も感じておらぬ、穴の様な心で。
「・・・・・・・・・・・・如何して、こんな子がいるんだろうね、世の中に」
ふ、と。眼を細める。
見詰める先は、己の事を話されているのに何の反応も示さない、青年。
彼の時と同じ、否、彼の時より深い眼の虚ろ。冷たく凍ってしまった表情。生気の無い、人形の様な。
「如何すれば、こんな風に何も持たない何も知らない哀しい子に、育っちゃうんだろうね」
其の場凌ぎの張りぼての様なお飾りだけの感情。
楽も苦も理解出来ぬが故に何も受け止めない心。
「――――――何が、言いたい」
冷水の様な声音で。金の子が囁く。
険を含んだ眼差しで。末裔が見据える。
銀糸は飄々と其れを受け止め。眼を細めて。
「いや・・・・・・只、くんの為に、俺に出来る事が在るならしてやりたいってね」
今の彼は、人として何処か壊れていた嘗ての自分だ。
そして、もしかすると目の前の子供達が歩んでいたかもしれない、もう一つの姿だ。
だからこそ、見ていて歯痒い。哀しい。
だからこそ、このまま捨て置けない。見過せない。
「くんにだって、幸せになる権利はあるんだから・・・・・・・・・・・・俺が、なれたみたいに」
覆面の上からでも判る、浮かべた微笑は慈愛と憐憫。
滅多に見られぬ、銀糸の真摯な本音。
気配で感じた子供達は、ふ、と知らず入れていた肩の力を、抜いた。
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