空に、満月。程好い酒の名残を身の内に残しながら、ゆたりと歩くは、忍二人。
「良い月ですねぇ」
「そうですねぇ」
顔に傷持つ忍の言葉に、銀糸が揺れる。
ゆたり、ゆたりと。民家は遠く、灯り少ない道の上。動くは二人の、影法師。
「そうだ、イルカ先生。今から家へ来ませんか」
ふ、と。想い付いた様に銀糸が言った。
「カカシ先生の家へ、ですか」
つ、と。傷の忍が銀糸を見た。
「ええ。良いモノが手に入ったんですよ、どうです」
「良いですねぇ、月見酒ですか」
月を指差し、お猪口を傾ける仕草をしてみれば、傷の忍が穏やかに笑い。
ゆたり、ゆたりと土手の上。穏やかに穏やかに歩む。微かに聞こえるは虫の音と、時折靡く小さな風の声。
しかし、柔らかい雰囲気は破壊された。
「・・・・・・・・・・・・イルカ先生」
先に異変に気付いたのは、銀糸。風が運ぶ鉄錆の香に眼光を鋭くする。
「・・・・・・・・・・・・ええ」
其の呼び掛けに、直ぐ様傷の忍も気付き。
ゆるり、と見回す。下の川に続く緩い傾斜。短い草の生え揃う其の上に、一つの人影を見出した。
ひそり。気配を殺し近付く。無駄に明るい月が、薄い雲の中に隠れて明るさを半減させる。
「・・・・・・・・・・・・彼れは――――――」
闇夜に慣れた眼。陽炎の様に捕らえた姿は、二人共が裏で見知った者。
黒髪。黒服。銀の手甲。能の様な鬼の面。
「『月』じゃないか。何してるんだ、こんな処で――――――」
暗部がこの様な場所にいるなど、珍しいと。思わず声を発した銀糸の言葉が、不自然に切れる。
果たして。揺れる大気に雲が動き、月が再び顔を覗かせ。青白い月明かりに照らされ、存在の輪郭を鮮明にさせた暗部。
其の出で立ちに、銀糸と傷は、息を呑んだ。
「『月』っっ!!」
声を荒げて傷の忍が暗部に駆け寄る。一拍遅れて銀糸も又。
呼び掛けに、のたりと暗部が首を動かした。其の拍子に、ぱたぱたと落ちる、紅の球。鉄の香が、更に濃くなる。
「何やってんだアンタはこんな処で!!」
肩に腕に脚に背中に、刺さったまま放置された、黒光りする刃。見るも無残な其の姿。
思わず掴んだ二の腕から、感じられた体温はヒヤリと冷たく。見れば全身、濡鼠。
「まさかこんな状態で入水したってんじゃ無いでしょーね!?」
詰め寄ってみせても、暗部からの反応は無く。銀糸はチッと舌を打つ。
そして、物言わぬ暗部を抱え上げれば、意に反して暗部は素直に其れに従った。
まるで意思を持たぬ人形の様だ。厭な思考に顔を顰める。
「カカシ先生?」
「月見酒は今度ですイルカ先生。彼をこのまま、放ってはおけない」
呼び掛けに言い置き、全速力で走り出す銀糸に。
「わ、私も付き添います!」
傷の忍も又、走り出した。
「・・・・・・・・・・・・どういう、事ですか」
通された執務室。窓の外の月を眺め、腰の後ろで手を組む老人に、銀糸は低く唸る。
「火影様!!」
しかし、沈黙を守る老人に、今度は傷の忍が吠え立てた。
銀糸が暗部を運び込んだのは火影邸。
傷の忍は其処で初めて『月』の正体を知る。火影に引き取られた、名の在る術師の一族の末裔。
噂に聞いただけの其の正体に驚愕しながらも、手当てを済ませ取り敢えず安堵した所で、次に最高権力者に呼び出されてみれば。
告げられた言葉は、抑揚も無く只一言。
「今宵見た事は、全て忘れよ」
前置きも何も無く。其れは厳格な令として下された声音。充分な説明も無く。
老人に問い詰めようと内心密かに決意していただけに、銀糸と傷は行き成りの言葉に憤りを隠せない。
何故なら二人は、彼の青年に好意を持っていたからだ。興味を持っていたからだ。
銀糸が初めて持った下忍。狐の子。悲劇の末裔。春色の少女。癖の在る彼等が何故か懐いた、日溜りの様な青年。
傷の忍の扇舞を綺麗だと評した暗部。星や花や夜明けや夕暮れを、美しい物を素直に美しいと言える子供。
しかしながら己は闇の中、素面で在りながら血を好み何処か狂人じみた戦いを見せる。
強いのに何処か脆い。弱いのに何故か打たれ強い。年の割には幼げな、眼が離せないと思わせる人。
見過ごすには抵抗があった。捨て置くには躊躇いがあった。
如何して彼が、あの様な状態に陥ってしまったのか。気付けば其の疑問は小さな棘の様に、思考の隅を苛んだ。
だからこそ、余り面識が無くとも心配しているのは当り前だと云うのに。
沈黙が場を支配する。返されぬ応えに、ぎり、と傷の忍は奥歯を噛み締め。
「・・・・・・・・・・・・忘れませんよ、俺は。忘れられる訳が、無いんだ」
暫くして、銀糸が押し殺す様に呟いた。
其の言葉に後押しされる様に傷の忍が頷き、ひたりと老人の背中を見据える。
「そうです。例え其れが命令であっても。オレだって絶対に忘れません」
其れは意地か。はたまた決意か。或いは、想いか。
「何が、あったんですか――――――あんなくん、見た事無い」
触れた身体の冷たさ。彼を抱いて此処まで走った銀糸の両の腕は、未だに湿っている。
彼れ程の深手。恐らくは暗部の任で手傷を負わされたのだろうが。
そして、何より――――――彼の、雰囲気。 例えるならば、気配も感情も一切無く、まるで血と肉で作られた人型の様な。
銀糸が知っている、明るい笑顔の青年は其処に居なかった。
傷の忍が聞く、人好きのする朗らかな青年は何処にも居なかった。
あんなものは、自分達の知る、彼では無い。
「見た事が、無いか・・・・・・・・・・・・そうは言うがな、カカシよ。お主は彼奴の――――――の、何を知っておる・・・・・・・・・・・・?」
暫く後。漸く動きを見せた老人は、ゆたり、と振り返り銀糸と傷の忍を見遣る。
其の視線は刃の様に鋭く。しかしながら、垣間見える色彩は、憂い。
「お主等が今宵見た、彼れも又彼奴の側面――――――否、彼れこそが、本来の彼奴の本質、素顔じゃとしたら?」
「なっ――――――!?」
老人の問いに、銀糸は息を呑み傷の忍は言葉を失くした。
瞠目した二人の視線の先。老人は笠の唾に手をやり顔を隠す。
新たに飛来した驚愕。信じられない言葉。二人の忍の固めた拳の内側に、じとりと厭な汗の感触。
正確な答えを知る、件の青年は、今此処には居ない。
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