叶 う 望 み な ど 何 処 に も 無 い の だ と
ふ、と。水面に上がる様な感覚に眼を覚ます。
其れから小さく息を吐き出して、ベッドの上で上体を起こした。
最近、毎日の様に見る様になった夢。
在る時は暗い石牢。在る時は餌と称して与えられた人の腐肉。
在る時は首を落とそうと振り上げられる大きな刃。在る時は身体を割り広げ己を犯す男。
否、其れは夢で無く記憶。しかも見るのは己の過去では無い。全て宝玉の記憶だ。
なのに全部、己が直に体験した様に、痛みも苦しみも生々しく感じられる。
痛みも苦しみも知らない筈なのに?
如何してこんな夢を見るのだろう。彼女の記憶を、まるで己のモノの様に。
ふい、と顔を上げる。窓の外は未だ宵闇。そして――――――窓硝子に映る己の眼の色は、朱金と青銀。
自分の顔が、夢の中の彼女の顔と、ダブって見えた。
「・・・・・・・・・・・・っっ!」
慌てて眼を閉じ、意識を集中させる。再び開いた瞼の裏から出て来たのは、黒。
何時もと逆だ、と思った。
何時もは、意識しないとあの鮮やかな色彩は表に表れなかったと云うのに。今は、意識していないと黒を保てない。
何故。あの色は元来彼女のモノだ。だったら何故、彼女が表に出て来ていない?
如何して。無意識にあの色を纏うのは彼女の方だ。なのに如何して、己の自我が未だ残っている?
嫌な予感が思考を掠める。
後に残るのは彼女だ。このまま居れば。彼女の意思に己の意思は呑まれ融けて消えるのだと。己だけが『死ぬ』のだと。
淘汰されるのは、他でも無い己のこの意識。自我。命。残るのは、不便な肉の器と、漸く望みを叶える事が出来る嘆きの姫君。
――――――そう、思っていた。なのに。
「・・・・・・・・・・・・まさか・・・・・・・・・・・・」
融けているのは、呑まれているのは、もしかして。
「・・・・・・・・・・・・ま、さか・・・・・・・・・・・・」
消えるのは、融けるのは、己では無く――――――彼女の、方なのか。
己の意味も無いお飾りだけの自我は確固としたまま。
けれど今更ながらに気付いてみれば。
長い間封じられ其の輪郭を削られ続けていた彼女の意識は、常に曖昧で不鮮明であった。
何時も己を宥めていた内からの声は、随分前に途絶えて久しい。
ぞくり、と背筋が粟立つ。大気は温いのに何処か冷たく感じて、己の身体を両腕で抱き締める。
此れも呪いの延長だとでも云うのだろうか。力を手に入れるだけでは飽き足らず、魂までも縛り付けた始祖の。
自我すら失った魂は、最早只の力の塊。其れを、あの男は知っていたとでも?望んでいたとでも?
――――――だとしたら、何て醜悪な先祖の罪。何て穢らわしい己の血。
ぎり、と唇を噛む。鉄の味が口内に広がって、しかし直ぐに消える。
震える身体を気力で押さえ込み、腕を解き。膝を立て、ゆたりと抱え。
「・・・・・・・・・・・・そう簡単には、いかない・・・・・・・・・・・・か」
はくつり、と口角を上げる。其れは確かに自嘲、の笑みだった。
「お主に仕事じゃ、『月』」
朗々と、謳うかの様に告げられた火影の言葉に、は目を細めた。
久方ぶりに聞いた、裏の名。其れが意味する処は、只一つ。
渡された依頼書を興味無さ気に流し見。
「期限は三日。出来るか」
続く言葉に、無言で頷く。
「『夜』にも同行して貰う。決行は明日の夜。其のつもりで――――――」
「必要無い。今から行く」
次の老人の言葉は、切り放つ様な声音に遮られ。
印も結ばず、灰にされた巻物。音も無く、の身体は闇に溶けた。
「・・・・・・・・・・・・生き急ぐを望む、か」
暗がり落ちた室内。一人残された火影は深く息を吐く。
血の呪いに、そうと意識せず苦しみ続ける子供。
己を愚かと嘲りながら、其れでも捨てられぬ慕情に嘆く妖。
どちらも、願うは互いの幸福。互いに残された只一つの者の幸せ。
己が消えれば其れが相手に与えられると、双方共に信じて疑いもしない。
だが裏を返せば、其れはどちらも己の終焉を願っている事に他ならぬ。
「ワシ等の選択は、間違っておったのかも知れんの・・・・・・・・・・・・」
檻から解放させた妖。心を覚えさせた子供。
日光の下に引きずり出し、自由を与え、枷を外した事で、彼等は再び苦しみの淵に身を沈めた。
互いに残された唯一を想う余りに。
今思えば、閉じられた闇色の空間は、どれ程彼等に優しかったのだろう。
互いしか感知する事の不可能な、隔離された空間は。
「――――――『死』のみが、只一つの解放の道とはの」
生き辛い世の中。常人と違う者には尚更。
其れでも、相手を想う余りに生きる事を自らに課してしまった人と妖。
優し過ぎるが故に、周りすら、互いの想いすら見えぬ二つの魂。
残された時は無いに等しい。
崩れた均衡が、彼の内に見えた。
二つの個が、完全に一つに成るのも、後僅か。
取り残されるのはどちらだろう。人か――――――其れとも妖か。
残された者はどうするのだろう。発狂するのか。後を追うのか――――――或いは、生きた屍になるのか。
「――――――其れでも、お主に生きて欲しいと願うは、傲慢じゃろうか」
視線をずらし見上げる夜空。横たわる深い藍色に、満点の星。
見送った青年の、面を被る寸前に見せた虹彩は。
闇に煌く、朱金と青銀。
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