にーちゃん!!」





 呼び声に、顔を上げ、立ち上がる。

 走り寄って来るのは、里の中でも珍しい金の髪の、少年。





 其の姿に、呼ばれた青年の口元が自然、緩む。

「よっ、ナルト」

 軽く声を掛けると、「久しぶりだってば!!」と賑やかな返事。

 青年の口が完全に笑みを形取る。





 しかし其れは、腰にじゃれ付いて来た幼い身体に一瞬、曇り。





「こーら、くっつくなって」

 そう言って、やんわりと少年の細い腕を解いた。





 でかでかと、顔に「なんで?」と書き。きょとん、と首を傾げる幼い表情に、又、笑い。

 土塗れの軍手を着けたまま、頬を土で汚し、服の至る所に土を付ける青年はにかりと言う。




 




 
「汚れるだろ?」




 




 




 




 




 




 
 勝手知ったる何とやら。

 不躾に上がり込んだ屋敷内。長い廊下を足早に進む。





 目差した先は、執務室。





 乱暴に扉を開け室内へと入れば、珍しく椅子から立ち上がり窓の外を眺める老人の姿。





 先程とは打って変わって、静かに、扉が閉まる気配。

 しかし其の中に、確かに見える、苛立ち。





「珍しいの。お主が、報告以外で未だ明るい時分に来るとは」

 ゆたりと振り返った老人は、口から煙管を放し、朗、とした声音で尋ね人を迎えた。





 押し殺した気配。部屋の陰にくすんだ髪の金色。

 瞳は、真昼の貫ける様な空色から冷たく横たわる夜の湖の色へ。

 瞬時にして入れ替えられた、纏う雰囲気は光から闇。





「聞きたい事がある」

 凛、と張った声。子供特有の高い。けれど何処までも低く冷たい。甘さも艶も賑やかさも消した。




 




 
「在れは、何だ?」




 




 
「はて・・・・・・在れ、とは?」

「恍けてんじゃねぇよクソジジイ」





 ぶわりと膨れた兇悪な殺気。しかし其れすら飄々と、老人は受け流し。

 変わらぬ姿勢に、子供は忌々しげに吐き捨てた。





「あんたがさっきまで其処で見てた、外のアイツの事だよ」





 言われて再び見る窓の外。視線の先、其処には変わらず土を弄り苗を植える、痩身の青年。

 煙管を咥え、息を吸い込む。吐き出す。ふう、と。充満する細い紫煙。





 やがて。応えは探りを含めた視線と共に。

「今日は珍しい事ばかりだの。よもやお主の口から彼れを気にする言葉が出ようとは・・・・・・嫌うておったのではなかったか?」





「どうでも良いだろそんな事。其れより質問に答えろよ」

 苛立ちを隠さぬ口調で、子供は畳み掛ける。




 




 
「在れは、何だ?」




 




 




 




 




 




 
 初めて会ったのは、一年程前。

 いけ好かない奴だ、見た瞬間に、そう思った。





 研ぎ澄まされた刃の様な、けれどさらりと音を立てる程に柔らかい濡れた黒羽色の髪。

 線の細い、しかし脆弱とは言い難いしなやかに伸びた四肢。

 冷たい石の彫像の様に完璧な、其れでも春の木漏れ日の如く暖かい相貌。





 朗らかな笑顔。





 其れは。日の下にいる己の『仮面』が良く浮かべるものと酷似していて。

 こいつは嫌いだ。

 そう思った。





 恐らく、惜しみない愛情を慈しみを一身に受けて。

 急かされず、丹精に。真心を込めて育てられた。

 痛みも穢れも孤独も憎悪も蔑みも、心の闇の何もかもを知らぬ。

 ・・・・・・己の様な者には、理解し難い。





「へえ、お前がナルト?俺はってんだ。宜しくな」





 真っ直ぐに人の目を見て、にかりと笑った青年。

 骨張った、けれど優しい手がくしゃりと己の金の髪を撫で。





 けれど、彼が自ら己に触れたのは。

 後にも先にもこの時、一度だけだった。




 




 




 




 




 




 
「何、と言われてもの・・・・・・見た目通りの奴じゃよ」





 呟く様な老人の声音は、何処か嘆きにも似た荒野の風の如く。

「忍の心得も何も知らぬ、花や草や土弄りが好きで、料理が得意な。『表』のお主に似た、只の青年じゃ」





「違うだろ」

 しかし其れを、子供は一蹴に伏してみせた。





「・・・・・・何が、言いたい?」





 老人の疑問に、口噤む子供。

 僅かばかりの視線で応を求めれば、子供は重い口を漸く開いた。





「・・・・・・昨晩、アイツを見かけた」

「彼れとて夜に外出くらいはする。昨日は、ワシがアスマへの使いを頼んどったしの」





「違う!!」





 老人の言葉を、否定したのは鋭い響き。

 何も違わぬ、と老人の目が諭す。

 違う、と子供の視線が其れを跳ね除ける。

 ならば何故そう言い切れる、と気配のみで促せば、子供は僅かに息を切り。





「・・・・・・任務から戻る時に経由した、死の森の中」

 告白に、老人は微かに目を眇める。





「幾つもの人間の成れの果てのど真ん中で、返り血だらけで突っ立って・・・・・・」




 




 
 人の死肉を、喰らっていた。




 




 
 吐息よりも掠れてしまった其の声は、しかし確かに老人の耳に届き。

 老人は、重々しく息を吐き出した。





「何を言うかと思えば・・・・・・彼れは、お主が里に戻って来るよりも先に、自室におったぞ」

「だが実際オレはこの目で見たんだ!アレは確かに・・・・・・!!」




 




 
「ナルトよ」




 




 
 有無を言わさぬ厳格な響き。

 荒げ掛けた言葉を、名一つ呼んだだけで綺麗に鎮める。





「疲れておる様だの。夜の仕事は暫く入れぬ。良いな?」

 其れでこの話は終いだと、暗に伝える老人に子供は一瞬殺気を漲らせ。





 しかし一拍後には、音も無く姿を消す。





 老人は、子供の居た場所に視線を向け。

 耳を澄ませば、外から賑やかしい其の子供の『表』の声。

 見れば、土に塗れた青年の横、同じ様に土に塗れ始める金の髪の少年。





 優しい、穏やかな日常の一齣だ。其処彼処に有り触れた、しかし何物にも代え難い、人の。

 老人は、其の光景に微か哀しげに目を細め。




 




 
「・・・・・・妖は、眠らぬか・・・・・・」




 




 
 うっそりと、そう、呟いた。




 




 




 




 






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