ヒューズ少佐が持ち込んだ書類の示していた土地は北北東。
本当に辛うじて、東部の管轄下に引っ掛かっている、小さな小さな村で。
其処へ赴く為に、まさかあの中佐が。
一週間分の仕事を、たった3日で終わらせて。
定時を終え司令部を出た其の足で、汽車に乗り込むとは思ってもみなかったのよ。
その時はまさか。
書類に記されていた人物が。
この数年間、彼が探し続けていた人だと、知らなかったから、なのだけれど。
ふしぎのせいねん
無言で出されたコーヒーに。
中佐は小さく有り難う、と口を付ける。
隣の私も倣う様にカップを持ち上げて。
目の前の青年を、不躾にならない程度に観察した。
・・・・・・1番最初に目がいくのは、やっぱり顔かしら。
とても。とても綺麗な造作をしているのよ。
まるで――――――人では無いかの様な。
人を堕落させる悪魔は、総じて見目麗しい者が多いと聞くけれど。
表情が殆ど動かないから、余計そんなふうに見えて。
其れに、黒髪と黒目。
中佐で見慣れている筈だというのに、彼の色彩は、中佐の纏う色彩の柔らかさとは違い。
髪は黒光りする鋭利な刃物の様で。瞳は光を通さない硝子玉めいていて。
何時か、何処かで読んだ事のあった物語を思い出した。
鑑賞人形。
作り話だとは判っているけれど。
もし本当にあるとするのなら、其れはきっと彼の様なモノなんでしょう。
「実を言うとね・・・・・・アレから、君の行方を捜していたんだ」
隣に座っていた、上司の声にふ、と意識が浮上する。
ああ、そうだわ。
彼と中佐は、顔見知りだったのよね。
如何いった、知り合いなのかしら。
「・・・・・・・・・・・・何故」
「・・・・・・別れ方が、別れ方だっただけにね」
吐息を落とす様な中佐の言葉とは対照的に、凛と張る平坦な彼の応え。
其処で、ふと、違和感を、感じたの。
再会を喜ぶ、というには些か・・・・・・・・・・・・いえ、可也、雰囲気が重苦しい事に。
「――――――其れにしても、驚いたよ」
突然の、軍人に訪問された青年については、云うに及ばず。
この、何時も人を喰った様な態度を崩さない筈の、上官すら。
ピリピリとした空気に、同調する様に。
「・・・・・・何が」
「君が、錬金術師になっていた事がさ。しかもたった数年の間に、軍のお眼鏡に適う程の腕前になっているときた」
「・・・・・・要領さえ押さえてしまえば、そう難しいモノで無かった」
「それに、そう――――――まさかこんな近くに居るとは、思ってもみなかった。灯台下暗しとは、この事かな」
「・・・・・・そうでも無い。行動出来るだけの、情報が少なかった、というだけで」
ちら、と視線を向けてみれば。
人の顔を見て話す彼の視線は珍しく、手元の琥珀色に落ちたまま。
「――――――それで?」
「其れで、とは?」
「用件は手短に願いたいんだ。俺も面倒事はさっさと終わらせたいし、役所勤めの人間にそうそう暇がある訳でもないだろ」
「そうでも無い。君の顔を見に来るくらいの、時間ならあるさ」
「そういう言葉は、俺の顔を直視出来る様になってから言って欲しいね」
「――――――っっ」
初めて、見たわ。
中佐が、言葉を途切らせる場面、というものを。
そして気付いた。
確かに、青年が指摘した様に。
中佐が未だ1度も、青年の顔を正面から見ては、いない事を。
図星を指された中佐の瞳は、所在無げに持っていた手元のコーヒーからそろり、そろりと。
酷く。ひどくか細い吐息を吐き出しながら、持ち上げて。
「――――――。考えてみて、欲しい事があるんだが」
「何を」
「国家錬金術師に」
「断る」
「・・・・・・・・・・・・皆まで言っていないのだが」
「聞いていても断る」
零れる苦笑は、恐らく返事を想定してのものだったのでしょう。
けれど。
次に続いた青年の言葉は、私を、いえ、中佐ですら。愕然とさせるには、充分で。
「自分を嫌悪している人間の傍で働くかもしれないのが判っていて、神経すり減らしながら毎日を送る程、そんなに神経図太く出来て無い」
「嫌悪、など・・・・・・其れは、一体誰の・・・・・・」
「アンタに決まってるだろう、ロイ・マスタング」
「――――――そんな事は・・・・・・・・・・・・」
「無いと言えるのか?」
すい、と中佐に差し出された、手。
大きなベランダから差し込む陽の光に、透ける様な白い。
其れが如何いった意味なのか、私には全く判らなかったけれど。
「この手を、取れるか?触れる事が、アンタに出来るのか?」
戸惑いに揺れる黒い瞳を、凍える様な黒が見据える。
かちゃり、と中佐のカップが音を立てた。
青年の、白く細い手を取る為に、障害であった其れをテーブルの上に置いて。
恐る恐るといった感で伸ばした手袋の、中佐の指は。
・・・・・・・・・・・・何故か、痛々しいくらいに、震えていた。