泣いている、様に見えた。
優しげな眼差しが。柔らかな声音が。
笑いながら、泣いている様に思えた。
けれど彼の言葉は事実で。
俺は返す言葉も見つけられないまま。
彼はもう、振り返りもしなかった。
――――――後悔先に立たず、とは。良く言ったものだ。
ふしぎのせいねん
「よーう、邪魔するぜーい」
「・・・・・・ノックくらいしてから入れと何度言えば判る」
勢い良く扉を開けて室内に入りこんで来た人物に、私はこれ見よがしに溜息を吐いてみせる。
だが当の本人は、気にもせずに飄々と。
「いーじゃねーかよ俺とお前の仲なんだからよ〜。あ、そうそう。ノックっつったらこの間エリシアちゃんがな・・・・・・」
そして、在ろう事か話は家族の話に突入。
聞いていればとりとめも無い事を延々、延々と。
毎度の事だと諦めの境地に立ってはいるが、ノロケを聞かされる身にもなってみろというのだ。
しかも写真片手に身をくねらせる。如何にかならないものか。其の気持ちの悪さ。
「・・・・・・・・・・・・娘自慢をしに態々中央から出てきたのかお前は」
「馬鹿言うない。妻の自慢話もたんまりだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・さっさと帰れ」
ここ数年で、家族バカに成り下がった男にたった一言だけ告げて、手にしていた書類に目を向ける。
相手にしてくれないと悟ったのか、娘バカの女房バカ――――――ヒューズは、小さく息を吐いた。
「相変わらず冷てぇな。折角この俺が幸せのお裾分けしに来てやってんのに」
「他人のノロケ話の何処が幸せのお裾分けだ」
「独り身の人間に、家族のスバラシサってのを説いてやる!聞いてたらああイイな俺も結婚してぇな・・・・・・充分なお裾分けだろーがよ」
「・・・・・・・・・・・・1度地獄を見せてやろうか?」
「まあ、冗談はさておき」
ちゃっ、と右手の発火布を持ち上げれば、出足を挫くかの様にサラリ、と返され。
本当に燃やしてやろうかと、思わず思った目の前で。
ヒューズが取り出したのは、1枚の書類。
「サーレファリタ村、聞いた事あるか?」
「地名くらいは・・・・・・国境付近の、小さな村だろう。其れが?」
「俺の書類の中に紛れてやがった。其処に、錬金術に長ける人間がいるらしい」
「勧誘関係の書類か」
「ああ、何でも、黒髪黒目に雪みてぇな白い肌の、眼も醒める様な美人だそうだ」
「・・・・・・何?」
「但しオトコ」
思わず椅子の背凭れから身体を浮かせかけた私だったが。
釘刺す様に告げられたヒューズの声に、何だ、と逆戻りする。
そのあからさまな態度にヒューズは苦笑し、そして。
「数年くらい前にひょこりと表れて、そのまま定住したらしい・・・・・・何か、思うトコロは無いか?」
「思うトコロ、とは?」
「現れたのは数年前。黒髪。黒目。白い肌。加えて美人な男ってトコロに」
ヒューズの目が、真剣味を帯びる。
其の含みに、私もまた。
数年前、と言えば。
東部でのイシュヴァール殲滅戦が、収束に向かっていた時期だ。
13年も恐慌状態が続き、7年もの間内乱状態にあった其れは、たった1年で、一応の終止符を打った。
国家錬金術師、という人間兵器の投入に拠って。
――――――そして、其の頃に。
この私の胸の内に、鮮やか過ぎる印象と、夥しい程の恐怖を植付けた人物が、いた。
其の、1年という短い月日の中の、更に短いたったの3日。
たった、3日間だけで。
今も、忘れられない。
否、忘れる筈が、無い。
「――――――・。22歳」
朗々と、ヒューズが書類に目を通し、読み上げる。
其の、1番最初に出てきた名前に。
予測はしながらも、実際に告げられてしまえば。
私は、只、瞠目するしか無かった。
「――――――な、ん・・・・・・・・・・・・」
「シン国の出身で、サーレファリタ村じゃ錬金術を使用したよろず屋で生計を立てているそうだ」
嗚呼。
瞼を閉じれば昨日の事の様に思い出される。
「・・・・・・有能な術師を見極めて推薦をするのも、国家錬金術師の仕事だな?」
「・・・・・・・・・・・・ああ、そうだ」
最後に見たのは、死に逝く華めいた哀しい笑み。
悲哀と。傷心と、諦観と。
あらゆる負の感情が、綯い交ぜになった様な。
「国家錬金術師の方に回る筈の書類が何で俺んトコに紛れ込んでたのか知らねぇが」
忘れられない。
彼が居なければ、今の私は無かったかも知れないのに。
彼は、私の命を救った恩人であるのに。
感謝の1つも、述べなかった。
「お前に任すぜ。俺は錬金術師じゃねぇから。勧誘しようにも見極めが出来ねぇ」
「――――――ああ、判った」
ほらよ、と差し出された書類を受け取り。
私は、小さく小さく、息を、吐き出した。