オレが初めてを見たのは、誘拐されてから3年経ったある日、だった。
ヴァン師匠に連れられて来た、ヴァン師匠の従卒だった。
他の騎士達の様に鎧じゃなく、騎士団のロゴは入っているものの、黒に近い濃紺の服を着ていた。
(後で聞いたら、アレは彼専用に誂えた制服だったらしい)
その時オレは大っ嫌いな勉強が終わったところで。師匠が来ているって聞いて、嬉しくなって速攻で部屋から外に出たとこだった。
そして、ぐるっと見回して、渡り廊下にいる師匠を見つけて駆け寄ろうとした。
師匠は、誰かと話していた。
オレからは、そいつの背中しか見えなくて、彼と話す師匠の顔はどっか楽しそうだった。
何だ、こいつ。と思った。
馴れ馴れしく師匠に話しかけてんじゃねー。
師匠はオレに会いに来てくれてるのに、なんでてめーなんかとしゃべってんだよ。
師匠は忙しくて、顔を見ただけで帰ってしまう事だってあるのに。その短い時間を邪魔すんじゃねーよ、と思った。
だから殊更でかい声で師匠を呼んだ。
師匠が気付いて、話を中断してオレに目を向ける。
それだけでちょっとそいつに勝った気になって、中庭に飛び出て突っ切って。
もう2・3歩で、師匠に飛び付ける。そう思った時だった。
――――――風が、そいつの髪を、躍らせた。
足が止まった。呼吸を忘れた。目が、引き込まれたみたいに離れなかった。
さっきと違う意味で、何だこいつ、と思った。
振り返ったそいつは、今まで見た事もない人間だった。
人間、と言って良いのかも解からなかった。
それくらい、綺麗な・・・・・・綺麗過ぎる、人間だった。
病弱な母上よりも白い肌。
金属で出来てるんじゃないだろうかと思うくらい、日の下で鈍く光る黒い髪。
顔の半分近くを覆う眼帯と、動かない表情。
何よりも――――――その、隻眼が。
こんな色の眼、今まで一度も見た事なかった。
本で見た深い深い海の青でも、毎日見上げる高い高い空の青でもない。
父上の持つマントのアズライトでも、母上の持つ宝石のラピスやターコイズでもない。
流れる水の色とも、燃える蝋燭の芯の色とも、冷えた氷の色とも違う。
――――――月、だ。
ようやく出てきたのは、その色だった。
太陽の光で銀色に輝いて、更にその光で海と空の色をその身に移した様な。
星を殺して夜に君臨する、冴え冴えとした月が、そこにあった。
止まったオレに師匠が何か言っていた。
いつもは一句一言聞き逃さないのに、その時のオレは何を言われているのか、分からなかった。
ただ、怖い、と思っていた。目の前にいるそいつが。怖い、気味が悪い、と。
動かなければ人形だと、人形ですと言われれば納得してしまう、そんな生きているのか死んでいるのか分からないソレが。
そいつが、動いた。広げていた、資料みたいな紙を脇に抱え直して、オレの前で片膝を着いた。
オレは距離が縮んだのに余計怖さが増して、ざっと後ずさった。
譜業の、ゼンマイの音がしないのが不思議だと思った。
今思えば、あん時のオレはひどい失礼だった。
初対面なのに。気分悪くしたって当り前なのに。
怖がって、気味悪がっていたオレの、気持ちを一瞬で看破して。
それでも、彼――――――は。
「お初にお目にかかります、ルーク様。、と申します」
そう言って、笑ったんだ。オレに。静かに静かに。
とても、とても綺麗な顔で。
前に一回だけ見た花を思い出した。
ガイがこっそり夜中にオレを呼び出して、2人で見た。ペールが庭で育てている花のひとつだった。
夜にしか咲かない花だ、と言っていた。朝になれば枯れてしまう花だ、と。
白い、大輪の花だった。
ぱりんぱりんと。薄い硝子が割れる様に開いた。
確かにそこにあるのに、触ったら幻みたいに消えるんじゃないかと思った。
綺麗な満月が空に浮かんでて、その光でほんのりと青く染まっていた。
その花の、蕾が開く瞬間とその微笑みが一緒だと、思った。
だから、かも知れない。
怖さも気味悪さも一瞬で消えた。
今でも良く覚えてる。あの後、オレは師匠をほったらかしてに始終懐きまくった。
は直ぐ様無表情に戻って。師匠も少し呆れた様にオレを宥めてから剥がそうとしたけど。
ただ、純粋に。この人は綺麗だと、とてもとても綺麗な人だと思った。
綺麗で、だからとてもさびしい人なんだと、思った。
何でさびしい、なのかは分からなかったけど。今も、分からないけど。
一緒にいなきゃ、って。傍にいてやらなきゃ、って思ったんだ。
あれから1年くらいして。は師匠の従卒から外れ、師匠よりも会う機会が減った。
それでもは、時間が出来るとオレに会いに来てくれた。
・・・・・・あいつ、の事も。は包み隠さず教えてくれた。
その時には既に、オレの中じゃ師匠よりもの方が、オレには大事な人で。
すごくショックだったけど、やガイが、そんでオレに会いたいって言ってくれてる、あいつがオレの支えになった。
来るたびにお土産を持ってきて、色んな話をしてくれた。
けどオレは忘れない。今も忘れてないし、忘れられない。
ガイを巻き込んで、こっそり3人で酒盛りしたりしてる時も。
の持ってきたお土産に喜んでいる時も。の話にバカ笑いしてる時も。
一度、に頼んであいつに手紙を渡してもらった。
ぜってー見るなよ!!ってさんざん言い含めて。
一度でいいから会いたい、って書いた。会ってたくさん話がしたい。
それから、はあの花に似てるから、て。
夜しか咲かない、大輪の。鮮やかなのに幻みたいな。
だから出来るだけ一緒にいてあげてくれって、お願いを書いた。
オレは忘れない。今も忘れてないし、忘れられない。
あの時見たものを。あの時感じた気持ちを。
の。月に会う為だけに咲いた、あの白い花の様な微笑みを。
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