満月の晩に。
人でない生き物が、小さく零した。
「――――――癒し、とは。一体何なのだろうね」
何かが、変わる。
そんな予感はしてした。
今宵の任務は無いと、里の最高権力者より、申し渡された時に。
そして、探していた姿を見つけた時。
ナルトは目を瞠る。
里を見下ろす位置にある森。中でも一等、見晴らしの良い大木の枝。
腰掛け、丸い月光の下、初めてぽつりと言葉を零した、彼に。
「・・・・・・・・・・・・?」
呼び掛けに、痩身の青年はゆたりと振り向き。
「金色の・・・・・・狐の守護を持つ仔か」
見詰め返す金銀妖眼。口元に穿くは掌の上で溶ける様な、淡い淡い雪の笑み。
常の、彼とは。随分と掛け離れた静けさを、内包した。
獣が啼く。ナルトの内部で。
哀しき御魂愛おしき御子よと、憐憫も顕わに。
其れが、誰に向けられたものか。
――――――解りたくも無いのに、良く、解ってしまった。
「・・・・・・宝玉・・・・・・」
純粋な驚愕と。僅かばかりの忌々しさと。大きく揺れる不安と共に。
滑り落ちたのは何時か何処かで聞いた、妖の名。
「――――――嗚呼。其の名で呼ばれるのは、随分と久しぶりだ」
深まる、微笑。しかし其れは哀しげに。痛ましげに。
其の、儚いまでに確かな笑みに、ナルトの内に渦巻いていた何かが、鎮火し。
其れでも、覆い切れない焦りが、口を割らせる。
「アイツは・・・・・・はどうした」
「どうもしていない。強いて言うならば・・・・・・今。汝の、目の前にいる」
「アンタじゃない。オレが聞いてるのは、の事だ」
応えに直ぐ様切り返し。
しかしナルトの目の前。朧に微笑む人外の生き物は、射殺す様な視線をもやんわりと受け止めて。
「――――――狐の仔。何故、宝玉≠封じられた器である祀り人≠ェ、成人しきる以前に殺されていたのか、知っているか?」
波紋すら浮かばぬ沈黙した水面の様に。
淡々と。静謐に。紡がれる言の葉。
一体何を言い出すのかと、眉を顰めれば。
「・・・・・・宝玉≠ニ、同化しない為だ」
「――――――――――――っっ!!?」
知らなかった、今まで伝えられなかった真実に、思わずくらりと眩暈がする。
「・・・・・・な、ん――――――」
漸く彼が、己を人で在ると、認識し出した処なのに。
触れる腕を、拒まなくなってきた処だったのに。
漸く、人としての片鱗を、見せる様になったのに。
なのに。
なのに、どうして今更。
人では無いモノに、変わると。
「――――――何か、無いのかっ!?同化を防げる方法が!!何かっ、何か・・・・・・っっ!!」
「方法ならあったさ」
荒げる声に、返るのは酷く凪いだ風の様な声音。
其れは何か、とナルトが身を詰め寄らせれば。
「――――――死を、選ぶ事。其れが、唯一無二の方法だ」
静謐に。幽玄に。
告げられた言葉に、ナルトは今度こそ。
声すら、失った。
大気が、揺らぐ。
零れ出た吐息。其れは一体、どちらの、ものか。
人の姿を借りた妖の、物静かな声は謳の様。
「私から、そして呪いと祝福を受けし一族の血から、解放される方法。其れが、『死』だった――――――今にして思えば、其れだけが、
祀り人≠ノ与えられた、唯一つの恩恵だったのかもしれない」
「・・・・・・恩恵?」
ひくり、とナルトの身体が戦慄いた。
たった一つの言の葉に、聞き捨てならぬとばかりに。
ぎらり、と金銀妖眼を睨め付ける。
只、入れ物として扱われた子供。其れだけでも充分に理不尽だと呼べるのに。
なのに其の上。更に傲慢な。更に身勝手な。
故人の欲が生んだ、選ぶ事の出来ぬ、選択が。
「恩恵、だと?死ぬ事が?殺される事がか?何が・・・・・・!!」
人の、人たる最も純粋にして根深き所以に、吐き気と共に言葉を吐き出す。
しかし其れすら、妖は真綿で包む様に受け止め。
「少なくとも、人として、死ねるだろう?来世に望みを託して、自由を手にする為に逝けるだろう?」
憂いを浮かべながら、其れでも尚微笑浮かべる様は、透き通る大気。
「けれど、あの子は・・・・・・は選んだ。選んでしまった。私から解放される唯一の方法を捨てて。生きる事を。私と、同化する事を」
風が、渡る。
枝が揺れ枯葉が落ちる。
共に落ちる言の葉は悲しく。只、哀しく。
「そして既に同化は始まっている。近く、二つの魂は一つと成り、意識は溶け合い、私は人の身体を手に入れ、あの子は妖の力を手に
入れる。遣り直しは利かない。其れが選択の律だ。もう、戻れない」
紡がれる言葉。其処には色も感情も何も無く。
只、罪を裁く断罪者の様に。
「――――――戻れないんだ」
告げられた告白に、ナルトは、泣きたい様な叫びたい様な想いを、噛み締める。
「――――――知って、いたのか。は。其の事を」
「知っていたよ」
「・・・・・・知っていて、選んだのか」
「ああ」
押し殺した疑問符に、淡々と返る応え。
しかし。ならば何故、と。尚も心の中で続く疑問。
其の、ナルトの胸の内を汲んだかの様な妖の声音は。
「・・・・・・あの子は、全てを憎み悲観するには余りにも強過ぎた。切り捨てるには何も持たな過ぎた。そして、私の痛みを己が物としてし
まった、其の意思の在り方が何より――――――優し過ぎた」
いっそ、哀しいくらいに。
ナルトは一瞬目を瞠り、次いで詰めていた息を吐き出す。
そして浮かべた笑みは、自嘲。
は優し過ぎる。
そんな事は知っていた。判っていた。
人として扱われずに。又、人を知らずに育ち。
だからこそ、恐らく誰よりも純粋で、純真で、純朴な。
己に与えられ、そして残された、只一つのものだけを。
一身に。忠実に。抱き締め続けた、寂しい魂。
「・・・・・・結局、オレ達のしてきた事は無駄だったって訳か」
元より、人として見られなかった子供。
道具として扱われた人。
そして、今。やがては妖になると、云う、青年。
人として生れ落ちながら、人として生きる事を自ら捨てた者に。
狂うな、と抱き締めた腕も。
覚えろ、と教えた痛みも。
お前は人だと、諭した声すら。
全てが。
「・・・・・・いや、無駄では無かったよ」
優しい響きに、ハッと顔を上げた。
視界に映るのは、人の姿をした妖の、微笑み。
「本当は。私があの子を癒したかったのだけれど」
お前を愛し守った、お前の中の、狐の様に。
あの子を、人として慈しんでやりたかったのだけれど。
幾つもの必要なものが欠けてばかりの己≠ナは、其れは不可能で。
抱き締めてやらなければならない時に、己自身の腕さえ無かった、此の意思と力の塊でしかない己自身では、到底無理で。
そして、何よりも。
「は。まるで其れが義務で在るかの様に。私に与えるばかりで。私を癒すばかりで・・・・・・私を、頼ろうとは、してくれなかったから」
其れは独白。
諦めと。哀しみと。己が不甲斐無さと。そしてほんの僅かの、憤りに揺れて。
けれど、と。微笑む。
其れは、言い表すならば。春を迎えた、咲き初めの華。
「けれどあの子は。欠けていたものを手に入れ始めた。お前や、緋の瞳の少年の事を。義務からでも強制されるからでも無く、慈しむ事
を覚え出した」
「だから。狐の子。お前の――――――お前達のしてきた事は、決して無駄では無い。無駄では、無いんだ」
ふわり、と。
気付けば、ナルトの小さな身体は細い腕の中。
髪を梳く細い指の感触。背中を、あやす様に刻む振動。
「感謝、しているんだよ。私も。あの子も。お前や、緋の瞳の少年には」
嗚呼。
此れが、妖なのか。
こんな。こんな柔らかい触れ方をするものが。
こんな優しい声音を発するものが。
から全てを奪い。
が。今現在、として在る為の唯一で在り続けた。
妖、なのか。
「・・・・・・憎く、ないのか。人が」
己を裏切り、傷付け、今まで虐げてきた、人間が。
「醜くて汚くて、利己的で。そんな、アンタに想われる、価値すらない生き物が」
「――――――其れでも・・・・・・何度裏切られても。何度、傷つけられても。私を癒してくれるのも又、人だから」
どうして。
どうして、こういう優しい存在に。
世界は、時は、人は、優しく無いのだろう。
性根の腐った者程、安穏とした生を送っているというのに。
何時の刻も、責を負うべきは業を重ねる人で在ると云うのに。
「私は、人が――――――愛おしいと思うよ」
儚い程に確かな、優しい声音。
顔を上げ。ナルトは、嘘偽りの無い、透明な微笑を見た。
さらさら、と。
髪を梳く指は心地良く。
無意識に眼から零れた、雫。
――――――他人の為に泣くなんて、初めてだ。
「・・・・・・バカだな」
「――――――そうでも無いさ」
「バカだよ・・・・・・あんたも。も」
人を、憎む事が出来るくらいに、弱ければ良かったのに。
人を、嘲り見下せるくらいに、賢しければ良かったのに。
優しく哀しい、愚かだけれど綺麗な魂。
優しい優しい腕に、あやされながら。
ナルトは只。
泣かない青年と妖の為に、声も無く泣いた。
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